その時の自分でどうするのかが大事なのかなって

小豆島に暮らす高校一年生の辰巳大雅さんは、2024年9月から一年間、フランスに留学することが決まっています。私が小豆島に住んでいた頃に小学生だった大雅くん。会わない間に高校生になり、海外留学を目標に定め、それをつかみ取ったと聞いて成長のスピードに驚かされると共に、とてもうれしく思いました。一年後の彼は、きっとまた変化しているのだと思い、出発前に久しぶりにタイガくんと話してみました。(取材・ライティング:小林繭子)

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――お久しぶりです!数えてみたら、最後に会ってから5年も経っていました。この4月から高松の高校に進学したんですね。毎日朝早くからフェリーで通学するのは大変?

数カ月経って、やっと慣れてきたところです。朝は6時まで寝られて、19時すぎには帰宅しているので、そんなにもハードではないですね。大変なのは勉強かな……高校は授業のペースがとんでもなく速くて、自分でも勉強しないとついていけない。その習慣をつけるのが大変で。

通学に時間がかかる分、フェリー往復二時間をできるだけ活用しようとか、授業中にできるだけ消化しようって意識はしています。授業を受けて出された宿題をやっていればなんとかなった中学時代とは、違いますね。

家に帰ってから学校の勉強をするときはするけど、毎日ではないです。家族にも言われるんですが、お風呂が長くて(笑)。ゆっくりお風呂に入っても寝るのが遅くならないように、でもできれば30分でも勉強できればなと。週末は疲れてしまって、ボーっとしちゃうこともあります。頑張ってメリハリをつけて、休日は休むようにしています。

――高校生活はどうですか?

同学年に同じ中学校出身の生徒がいないので、新しい人間関係を作っていっている最中です。僕はそんなに積極的に人に話しかけていくタイプではないけれど、親しい友人ができたらうれしいし、できるならいろんな人と話していきたいですね。いろんな中学から人が集まっていて、新しい出会いが面白いです。

――9月からの留学について聞かせてください。一年間、フランス北西部のブルターニュ地方に留学することが決まっているとのことですが、留学したいと思うようになったのは?

何か大きなことがあったというよりは、小さいころから見聞きしていた海外への興味が、いろんな事が重なって高まっていったという感じです。はじまりは、両親が若い頃バックパッカーとしてシルクロードを旅したときのことや、海外の文化のことを小さい頃から聞いていたことかな。小学生のときに通っていた絵画教室の先生がドイツで活動していた経験があり、ドイツでの暮らしについて聞いたり、写真を見せてもらったりして海外って面白そうだな、となんとなく思っていたのもあります。

そして、豊島を拠点に活動する「usaginingen(ウサギニンゲン)」の二人との出会いも大きいです。usaginingenはオリジナルの映像機器と楽器を使用したパフォーミングアートグループ。アーティストとして活動しつつ、半分自給自足のような暮らしをしていて。海外で暮らした経験もあるし、独自のスタイルを確立して国内外で活躍する、すごい人たちです。

小学校高学年の頃に小豆島からフェリーで30分の豊島に連れていってもらい、usaginingenの劇場を訪れて以来、一人でちょくちょく遊びに行くようになりました。

豊島ではusaginingenの二人や豊島で暮らす人たちと話したり、二人のお子さんと遊んだり、簡単な農作業の手伝いをしたり。いろんな人と出会えるし、普段とはまた違う過ごし方ができるのが楽しかったですね。僕が自分からあまり話さなくても二人は気にせず、そのままでいいって感じでいろんな場所に連れていってくれ、豊島の人たちと引き合わせてくれました。二人のおかげで知らない人と話せるようになったと思います。

――彼らとの時間で、影響が大きかったことって何ですか?

小学校6年生の時に、ユニークな人生を歩む大人たちの話を聞く「usaginingenと空飛ぶゾウ」というYouTube企画に参加したことです。世界で活躍する人たちの話を聞いて、海外での暮らしや仕事って面白そうだ、行ってみたい、とそれまで以上に強い興味を持つようになりました。

また、それまでは仕事といったらスーツを着て会社に行くか、父のような自営業っていうイメージしかなかったけれど、usaginingenみたいに仕事をして自給自足もして暮らすとか、世界で活躍する舞踏家やお坊さん、九州でミニシアターをやっている人、絵本作家など、いろいろな仕事を知りその話を聞くことで、自分にとっての「仕事」というものが、がらっと変わったように思います。

特に印象に残っているのは、イギリスで暮らす発明音楽家のICHIさん。ICHIさんはおもちゃや調理器具など、いろんなものを楽器に変身させ、「曲」というよりは、音の組み合わせのような音楽を作る方。その独特な音楽が面白くて、ぐっと引き込まれました。「これ楽器にできるんじゃないかな」って思うことはあるけれど、本当に楽器にして音楽にしてしまう。それをとことん突き詰め、世界中で人を楽しませているって、すごいなぁって。

この企画を通して自分が知ることもなかったさまざまな生業をもつ人、海外で活躍されている人たちの話が聞けたのは、大きな財産になっています。いろんな仕事のやり方があるということ、自分の求めていることややりたいことを自分の望む形で続けて活躍できるということ――多分頭のどこかではなんとなくわかっていたんですが、そういうことがはじめて実感できたというか。

夢中になれることを仕事にした人たちに出会い、こんなにいろんなことができるんだ、仕事になるんだ、ってたくさんの気づきがありました。将来何がしたいのかは今もまだわからないけれど、もっと柔軟に考えていいんだとか、自分に何ができるのか考えようって思うようになりました。

少し話がそれちゃいましたけど、こんなふうに小さい頃から海外での生活や仕事について、両親含めていろんな人たちから話を聞けたことが、留学したいって気持ちの根っこにあるような気がしています。

小豆島の港から、車に乗せてもらった
大雅くん・お父さんと坂手地区を歩いた

――留学を具体的に考えるようになったのは、何かきっかけがあったのかな?

中学生の時に知人のお子さんが留学するって聞いたことだと思います。高校生でも留学できるんだ!って驚いて、そこで初めて「留学」っていうワードが自分に入ってきた感じです。その方に留学体験談を聞かせてもらって、留学のイメージが具体的になってますます興味を持ち、いろいろと調べていく中で留学への気持ちが固まっていきました。

――どんなふうに気持ちが固まっていったの?

それまでは留学ってかっこいいとか、楽しそうとか、ふわっとした興味だったんだけど、海外での暮らしは日本とは全然違うことや考え方が違うことがあって、そういう環境に身を置いてみたいと思ったんです。留学の体験談や海外のニュースや情報は見聞きできるけれど、自分の肌で感じるのはきっと違うだろうし、その国だから体験できること、感じられることを得たいなって。

海外に行きたい気持ちは小さい頃からあって、それは旅行でも叶えることができます。でも、留学では一年ホームステイして、日本人学校ではなく現地の学校に通えるので、よりその国の暮らしができ、その国に近いところが体感できるんじゃないかと期待しています。

――今回の留学決定には、試験があったんだよね。決定まではどんな道のりだったの?

試験では面接、グループディスカッション、英語の筆記試験がありました。中二の後半から勉強を始めて、試験は中三の春。筆記やリスニングは中学生には難易度が高く、高校の受験勉強と同じくらい勉強しました。中学英語とは違って、日本語で聞いても知らないような専門的な単語が多かったですね。おそらく、英語圏の高校の試験や講義のような内容だったと思います。なので、とにかく単語を覚えて、過去問や問題集をひたすら解いて勉強しました。

グループディスカッションについては、当時面接すら未経験だったので最初は想像もつかなくて。自分の意見を明確に伝える機会も、その手前、自分がどう思うのかを真剣に考えることもあまりなかったから、準備は大変でした。どんな質問がくるのかもわからなかったので、二つだけ、どうして留学をしたいのかと、自分はどういう人間なのかはしっかり深掘りして考え、準備しました。こんな機会がなかったら自分の意見を考えたり、伝える練習をしたりしなかったので、試験に受かるかどうか関係なく、いい経験になったと思います。

小さい頃から遊びに来ていた「瀬戸の浜」

――試験のための勉強は、苦じゃなかったですか?

自分で決めたからには一生懸命やろうっていう気持ちもあったので、苦ではなかったです。留学のテストや高校受験など、何か大事なことがあると頑張れるのかな。普段はあまり勉強しないので、もっと普段からやっていたら少しは楽なんだろうけど(笑)。

不安はもともとあまりない感覚で、ぼんやり不安だとは思うし緊張はあるんですが、具体的な不安はあんまりない、って感じ。この性格がいい時も悪いときもあるけど、今のところいい時が多いので助かっています。中三でもし合格しなくても、高一でまたチャンスがあるという気持ちは正直ありました。また、僕が応募したプログラムは希望する国の応募者数と試験結果の掛け合わせなので、たくさん希望を出せばどこかには行けるだろう、というのもありました。どの国に行って何をしたいという希望があったわけじゃなくて、行ける国で頑張ろうと決めていました。

――実際の試験はどうでしたか?

個人の面接や英語のテストはそれなりに力を発揮できたんですが、グループディスカッションはやっぱり苦戦しました。議題はコロナ禍で人の行動が制限されたことのメリットやデメリット、自分はどう感じたか、日本の状況について。テーマが難しいのもあって、自分の意見がなかなか出てこなかったですね。オンラインではどのタイミングで自分の意見を言っていいのかよくわからないし、どんなことを言えばいいのか考えているうちにどんどん進んでしまって。次やるなら考え込まず、簡単でもいいからまず意見を持つようにしたいです。そもそも自分の意見が普段から弱いということにも気づきました。

――試験を受けたこと自体がすごくいい経験になったんだね。留学先のフランスはどうやって決めたの?

第一希望では、ドイツを希望していたんです。usaginingenが暮らしていたから、興味があって。テストもまだまだ他の人に比べたら劣っていただろうというのもあって、ドイツに限らず、海外留学すること自体を目標に設定して、10個ほど希望の行き先を選び、結果第二希望のフランスになったって感じです。

周りの人から、なんで英語圏の希望をださなかったのって言われたけど、なんとなく、すぐ行ける気がしたんです。全然そうでもないんだけど(笑)。「行ける国に留学しよう」が僕の留学だから、現地の言葉の勉強は留学先が決まってから。大変だろうな、と思ってはいました。

――出発一年前の中三の夏に留学先が決まって、受験勉強もあるから大変そうだね。フランス語の勉強は順調?

フランス語は聞いてもまだよくわからないし、話すとなるともっと難しくて、会話はまだまだ難しい状態です。英語も似たようなことがあって、話したいことが自分の中にあっても言葉が出てこないんですよね。「何て言えばいいんだろう」って考えすぎちゃう。そうじゃなくて、知っている単語を続けるだけでもいいし、簡単な文法でもいい。正確には違っていても通じることもあるので、もっと柔軟な思考が必要だなって感じています。

留学から帰ってきた人たちからは、少しでも話せるように勉強したほうがいいけれど、わかる人でも最初の三か月は全然わからないし、それが普通だから気にしすぎないでいい、現地の言葉がわからなくても、何もできないわけじゃないって言ってもらったことが印象的で。うまく言葉が出てこなくても、コミュニケーションを取ろうとする努力を大事にしたいです。

島外の高校を選んだ理由の一つには、自分からコミュニケーションを取っていけるようになりたいという思いもあったんです。フランスでも、ホストファミリーと仲良くしたいし、学校で友達も作りたいし、いろんな人に話し掛けていきたいですね。言葉の面で最初は困るだろうけれど、そこで自分がどうするのかが大事だと思う。だから、頑張ってみんなの中に入っていけたらいいな。

フランス語で現地の高校の授業を受けるのもあって向こうに行って苦しむかもしれないし、もっと心配したほうがいいのかもしれないけれど、そんなに大きな不安はない感じです。数週間後にはフランスの暮らしが始まるのに、まだ実感がないのかな。

――一年後日本に帰ってきたら、学年はどうなるんですか?

これは自分で決められるんです。僕の場合は、もう一回高校一年生をやることにしました。フランスではきっと日本の勉強のことはできなくなるだろうし、一年空くと勉強に追いつくのが難しいだろうと思って。人間関係も新しくなるので少し不安はあるけれど、せっかくいろんな経験をするんだから「知り合いが増える」って感じで、できるだけいい面を見ていきたいです。今の同級生とも、島の中学時代の友人たちとも、フランスで出会った人たちとも長く関係が続いていけばうれしいです。

――留学での楽しみは?

ブルターニュ地方は中世の町並みが残っていると聞いて楽しみにしているし、いつもとは違う食文化やホストファミリーが飼っている猫との暮らしも楽しみです。でも、一番の楽しみは「その地の日常」を味わえることかな。ごみ問題、移民文化についても興味があって、フランスだから触れられることも知っていきたいです。フランスがどんな国なのかこの目で見て、体験して知りたいし、フランスで暮らすことで見えてくるだろう「日本がどんな国なのか」を学び、感じたいです。

――一年後、留学から帰ってきた自分に期待することは?

フランス語が話せるようになっていたらいいな。でも、言葉がわからなくても、フランスで生活できていたらって思います。あと、今よりもっといろんな人と関われるようになっていたいかな。人ってそんなすぐ大きく変わるもんじゃないけど、初めてのフランスで自分の視野を広げて、その地の文化や考え方、今想像できてないこともたくさん吸収して日本に帰ってきたいですね。留学を目前に控えて間に合ってないこともあるけれど、今はできることをやるだけ。とにかく行ってみないとわからないので、出たとこ勝負で楽しみたいと思います。

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協力:usaginingen

辰巳大雅
2008年香川県仲多度郡まんのう町生まれ、高校一年生。三歳の時に両親と共に小豆島へ移住。大の阪神ファンで、甲子園まで観戦に行くほど。小学生の時に音楽部で担当していたチェロを高校に入ってから再開した。ヨット、バスケットボール、地域活動を行うジュニアリーダーなど、好奇心の向かう先へまっすぐ。
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*記事の内容は、掲載時点のものです

瀬戸内通信社 編集長/ライター、コピーライター:愛知県出身。12年ほど東京で暮らし、2016年に小豆島、2019年に香川県高松市へと移り住む。豊島美術館、李禹煥美術館が好き。

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