踊りが私を伝えてくれる/廣瀬桜子さん(大学生・ダンサー)

この春大学を卒業し、就職を控えている廣瀬さんとは、2022年にダンスの舞台で共演しました。踊りで自分を放ち輝く姿、感受性の豊かさによる迷い、もがきながらも大切なものを見つめて進んでいく強さ。そんな廣瀬さんの多面性の奥にどんな思いがあるのか、また、今の彼女がどんなことを語るのかを知りたくて、話を聞いてみました。(取材・ライティング/小林繭子)

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——ダンスを始めたのは?

大学1年目の夏休みです。2年生になったら、大学で演劇・インプロ(即興劇)・コンテンポラリーダンスの授業を受けることができるので、「2年次に何を選択しようか」と考えていたら、大学でコンテンポラリーダンスのワークショップ参加募集があったんです。

海外講師の方から教えてもらえるなんて二度とないかもしれない、未経験だけどやってみたい、先輩や同期、教授に私を知って覚えてもらいたい、そういったさまざまな思いから、勇気を出して参加を決めました。コンテンポラリーダンスは、亀梨和也さんがドラマで踊っていたのを見て、憧れと興味を持っていました。

ワークショップは2週間毎日行われ、先輩たちと朝から夕方までダンス漬けの日々。人を持ち上げたり、支えたりと誰かと交わりながらダンスを学ぶ時間で、人の重さや熱、肌の感覚などを体感する不思議な経験の連続でした。

最初は、踊るといってもどんな動きをすればいいのかわからなくて、HIPHOPを踊る人、わーっと子供っぽい動きをする人、なにか模索している人など、周りをよく見ながら盗むことに必死でした。踊ろうとばかりしていたのですが、ある時先輩が上半身裸になって表現しはじめたのを見て、もっと自由にやればいいんだと気づいて。

固定概念を超えて身体を動かし始めたら、今まで感じていたストレスや情熱を自然と表現に変換できている感覚があって、自分ってこんな感じなんだと驚いたことを覚えています。その時の楽しさや興奮が忘れられなくて、ダンスにはまっていきました。

でも、当時ダンスの授業を継続的に受講できるのは2年生からで、それまでは一旦ブランクがありました。2年生になると、授業で週に4日もダンスができて、どんどん夢中になっていきました。最初は自分の抱えているものや感情を出したいと必死にやっていましたが、一年も経つと、私って同じ動きが多いなと気づきも出てきて、このままじゃだめだと焦ることもありました。

——どうやってその状況を打破しましたか?

いろんな動画を参考にしながら、自分なりの身体の動かし方を模索しました。身体だけじゃなくてもっと顔を使ってみよう、床ではなく高い空に向けて動こう、背中で表現してみよう、そうやって試行錯誤して、だんだんと自分らしさが出せるようになりました。

その頃はまだ恥ずかしさが拭えなかったり、きれいに動きたい気持ちが一番に出ていたと思います。でも、時間の経過と共にきれいに動けているなかでなにか壊したいとか、ちょっと乱暴さを感じさせるような大きな動きをしたいという欲求が膨らんでいきました。ただただ踊りたくて、ダンスのことばかり考えていましたね。

3年生になると後輩の見本にならなくちゃという気概も出てきて、自分ができているかどうかに敏感になっていきました。でも、「できている」という感覚は、慣れが出てきたり、一度できたことをなぞっているだけになったりと、自己嫌悪になることも多々あって……。

——一度できたことを新鮮な表現で再現するのって、なかなか難しいですよね。学内の公演や映像作品へも出演もされていますが、特に印象的だったことは?

映像作品「solos」で、11月の冷たい土砂降りと強風の中、薄着で噴水に入って踊ったことです。足先の感覚もなくなるような過酷な環境で出し切ろうしていたら、自分の限界を一つ超えたというか、自分の中の鍵のかかった扉を開けられたような感覚がありました。

——その時までかかっていた鍵は、何だと思いますか?

「人に嫌われたくない」かな……だから、勉強が苦手なこと、自己愛、性的嗜好や自分勝手さ、人への依存性は普段、隠しています。自分の弱い部分を出すと舐められるんじゃないかっていう不安もあります。だから、信頼した一握りの人以外には自分のことはあまり言わないし、出さないようにしています。あの時、人からどう見えるのかという自意識を一つ乗り越えて、自分を解放できたような感覚がありました。

——踊っているときは、いつも自分らしくいられている?

自分らしいとは思うけど、それが全てではないですね。どうしても恥じらいがあるときや、お客さんの目線を意識しちゃっている部分はあるし。そういうものが外れない限り、自分はプロにはなれないと思いつつ、好きという気持ちだけでダンスは続けていきたいです。観てくれた人が楽しいとか、なにか共感して楽になったとか、それだけでも私はうれしいです。

——ダンスをしていて嫌になったことは?

ないですね。ダンスの先生が「その動き、面白い」っていつも肯定してくれたお陰だと思います。厳しく言われると「私はだめなんだ」って落ち込んじゃう。私は認めてもらえた、この感じで動いていいんだっていう安心感の中で前に進めるのだと思います。大学では、まずは受け入れてくれて、その上でアドバイスをくれるすばらしい先生に恵まれました。

ダンスを続けてきたのは、単純にやりたいっていうのもあるけど、自分自身を周りに受け入れてほしかったからでもあります。私にはこんな部分もあるよ、私のことを知ってほしい、という欲求ですね。「陰キャ」よりは「陽キャ」が好かれる世の中だと勝手に思っていますが(苦笑)、私みたいに暗い人間もいるし、そんな私も受け入れてほしいなと。

その場に合わせてテンションを上げることだってできるけど、自分を偽り続けることはできないし、いずれ自分が壊れてしまう。自分の一面を正直に出せる場が私には必要で、その手段が踊ることだったのかもしれません。

——自分に自信はある?

うーん、調子に乗らないようにはしています(笑)。周りの人にもっと自信を持て、調子に乗るくらいでいい、なんてよく言われますが、これまでの経験上、天狗になると人間関係がうまくいかなくなるなど、なにかが崩れるんです。でも、自信がなさ過ぎてもなにもできないので……バランスって難しいですね。自信を意識的に少し盛って、でも謙虚さや誠実さも一緒に抱えて歩いていく、っていう感じでやっていきたいです。これから仕事でも、プライベートでも、ダンスでも。

でも、最近になって、少しずつ自信が持てるようになってきました。褒めてくれる人が増えたからかもしれません。自己を客観視しているつもりでも、人と会話してみると、自分はネガティブなことばかり想像しているんだと気づかされることが多いです。それいいねって言ってくれる人のお陰で、ポジティブな気持ちで自分と向き合えるようになりました。

昨年、瀬戸内国際芸術祭2022で「Come and Go ひびのこづえ×島地保武×小野龍一×OGIJIMA」に出演したことも大きかったです。初対面の方に「ファンになりました」と言われたり、男木島の子どもと仲良くなったり、いろんな人に声を掛けてもらって、自分がそのまま認められていると感じられました。

——この公演を経て、なにか変化はありましたか?

きれいに動くことがすべてじゃない、もっといろんな表現があることを改めて学べました。リハーサルではきれいな線を意識して踊っていたけれど「桜子さんはリスっぽいから、リスっぽい動きをしてみて」と、全然違うところからボールが飛んできたことがあって(笑)。動物的な擬態がダンスになるっていうのも面白くて、自由な表現の幅が広がりました。

——もっと踊りたくなったのでは?

それはあるけど、これからのことを考えると、ダンスはできる範囲でやれたらなっていうのが正直なところです。4月からの就職を踏まえて、ダンスは一区切りつけたというのもあります。今後は無理のない範囲で自由に踊ったり、表現できたらいいかな。ダンスを通して自分が築いてきた感性、観察眼、表現すること、伝えること——そういったことは、日々誰かと接するときにも活きてくるはず。ダンスは私の一部で、これからも私と共に生きていくんじゃないかと思います。

廣瀬桜子
2002年、香川県高松市生まれ。四国学院大学4年生(2023年3月現在)。高校では演劇、大学ではダンスに出会い、自身の表現を広げてきた。最近好きなダンサーは、アオイヤマダさん。料理と読書が趣味で、今読んでいるのは三島由紀夫の「音楽」。
瀬戸内国際芸術祭2022「Come and Go ひびのこづえ×島地保武×小野龍一×OGIJIMA」、「アート・シティ高松」文化芸術創出事業dance+live music「solos」、Re:Rosas ×Shikoku Gakuin University Theater courseSHOWING Heini Nukari × Marcelo Evelin × Shikoku Gakuin Universityなどに出演。

瀬戸内通信社 編集長/ライター、コピーライター:愛知県出身。12年ほど東京で暮らし、2016年に小豆島、2019年に香川県高松市へと移り住む。ライティング、IT企業営業事務、広報サポートなど、気持ちの赴くままいろいろ。豊島美術館、李禹煥美術館が好き。

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