東京だけじゃない。アーティストに、新しい拠点の提案を。/田中未知子さん

瀬戸内サーカスファクトリー(以下、SCF)は瀬戸内の香川を拠点に、現代サーカスのアーティストを国内外から招き、この地ならではのクリエーションとパフォーマンスを続けて11年目。コロナ禍の2020年にもその歩みを止めることなく、公演を開催しました。自粛が続き、生の舞台を観ることから遠のいていた私は、この瞬間しか見られないパフォーマンスを集まった人たちと共有できたことに、胸が震えました。

「サーカス」と聞けば空中ブランコや綱渡りなどのイメージがありますが、「現代サーカス」はこれまでのサーカスの要素や技を使いながらも、あらゆるジャンルのアートが混じり合う新しい芸術のことです。瀬戸内で現代サーカスを育ててきた、SCF代表の田中さんにお話を伺いました。

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ーー2020年に開催した「YonaYonaサーカス」は、丸亀城や「三豊鶴」など、5つの特徴的な会場でその場ならではのパフォーマンスを繰り広げましたが、手応えはいかがでしたか?

YonaYonaサーカスは、思いがけず理想の形になりました。無理のない規模感で6カ月かけて各会場を回り、一つずつ形にして残していく。たとえ規模が大きくなくとも、これが自分たちの特徴の一つになると思っています。例えば、酒蔵をリノベーションした複合施設の三豊鶴では、アーティストが何日か会場に通い、 “酒造り” をテーマに創作しました。

三豊鶴でのYonaYonaサーカスの様子/写真提供:SCF

昔使われていたタンクの淵を一人が歩きながら「櫂」をかき回すような動作をするときに、空のタンクの中でボールを使ったジャグリングをしていると、その姿は見えませんが、タンク上にぽこぽことボールが上がり、まるでお酒の発酵のよう。地元の方たちからは「あ、発酵してる」と声が上がりました。こんな風に各会場が持つ特徴や個性に合わせてサーカスを創り上げることと共に、各会場と一緒に公演を作りあげる方法論も確立できたと感じています。

例えば、三木町の「IDO MALL」では会場のオーナーさんが主催者となって、ご自身で地域のスポンサーを集めてくださり、この場に集まる多くの人に楽しんでもらえたらと、無料での開催となりました。昼は子ども向けのサーカス教室、夜は広い田園風景の中で公演を行ったのですが、IDO MALLさんには広報から当日受付まで担っていただいて、サーカス教室は満員御礼に。さらに、公演スペースとして隣の畑を借り上げて草刈りをした上、巨大なブルーシートを敷いてゆっくり座って観れるエリアをご用意してくださいました。

IDO MALLでサーカス体験をする子どもたち/写真提供:SCF

結果多くのお客さまが集まり、みなさん思い思いの場所で現代サーカスを楽まれていました。この公演は、近隣の方たちを巻き込みながら、IDO MALLさんが私たちと共に公演を作りあげてくださったと感じています。こうやってさまざまな場所で創作を続けていけば、多様な場所や人と関係性を構築していけるんじゃないかとも思っています。2021年にはまた違う会場でもやろうと検討しています。

ーーSCFで使用する器具は香川の鉄工所さんが製作されていますが、どのようなご縁で?

ある講演会で「オリジナル器具を作りたいけれど、人の命に係わることもあってなかなか引き受けてくれる会社がなく、困っている」と話したのを聞いていた香西鉄工所さんが、「技術力でなら協力できるかもしれない」と声をかけてくれたことが始まりでした。この出会いによって、構想したまま7年ほど止まっていた企画が、動き出しました。

ーーオリジナルにこだわる理由は?

現代サーカスではオリジナル器具を使うことが非常に重要で、それが演出に大きく影響します。同じ器具だとどうしても動きや見え方に限界があります。日本ではまだまだオリジナル器具での創作はレアケースですが、SCFでは着々と進んでいて、とてもありがたいことです。

ーー香西鉄工所さんと製作した器具 “空中トラス” の製作は、どのように進めたのですか?

現在3台ありますが、1台目の製作には丸一年かかりました。最初は何から始めていいのかわからず、まずは香川県三豊市出身のアーティスト・長谷川愛実さん所有の器具を香西鉄工所に運び込み、東京から来てもらった長谷川さんに工場内で演技してもらい、10人近いエンジニアの方がそれを記録するところからスタートしました。今までにないものをとアイデアを出し合い、研究を重ねて完成しました。

香西鉄工所と打合せを重ね、オリジナル器具を製作してきた/写真提供:SCF

特徴は、天辺部分にあります。一般的には1メートル程度の幅でぶら下がるだけの機能になりますが、この幅の長さを可変にして、最大4.5メートルまで延長できるようにした上に 、巨大クレーンの先端部分などに利用される三角形を繋ぎ合わせた “トラス構造” を組み込みました。こうすることで、天辺部分に頑丈な演技スペースが生まれ、器具全体が巨大な舞台装置となります。このスペースも活用して演技すれば、観客の視界は地上から6メートル以上の高さまで広がるんです。

さらに、演技スペース幅の長さは2種類製作して変化を持たせました。トラス製造の技術力が高い香西鉄工所ならではの器具になったと思います。2年以上使用していますが、非常に頑丈です。香西鉄工所さんとは「今後はこうしたい」といった対話もあり、ラボラトリーのように一緒にものづくりができる、心強いパートナーですね。

第1号の空中トラスは、最上部でパフォーマンスも可能/写真提供:SCF

ーー三豊市の練習拠点にお邪魔しましたが、アーティストの皆さんの日常的な練習は、演目や曲に合わせて制作するのではなく、黙々と新しい動きを編み出している感じなのですね。

そうですね、現代サーカスでは、まず動きをたくさん創作していきます。他で見たことのない動き、できそうだけどできないことを模索して、創作を積み重ねていく。その動きを作る時間が一番大事だと思います。新しい演目を創作するとなったら、アーティストが持っている引き出しからその種を引き出して、組み立てていくイメージです。

ーーいつでも練習に没頭できる、専用の環境があるのは強いですね。

本場フランスでは、アーティストが日がな一日、なにか思いついたときや身体が乗ってきたときに練習したり、どんな形になるのかもわからないようなシーンを創り続けていました。一見無駄に思える時間こそが必要で、限られた時間では創作に限界があるんですよね。

ーー現代サーカスの拠点を瀬戸内に決めた理由は?

まず、農村歌舞伎や人形浄瑠璃などを大切にしてきた瀬戸内の歴史的な風土と、瀬戸内国際芸術祭などの影響もあり、アーティストの創作を応援してくれる自由な空気感が魅力です。そして、気候が良く気分転換にちょっと屋外で練習しようなんてことが簡単にできる自然環境も、創作に良い影響を与えてくれます。そういう意味では、瀬戸内以外の候補ってあまりなかったですね。島があることも非常に魅力的です。海外からアーティストが来たときも、「明日、島で創作してみたら」って言えるのは大きいです。船の定期便が複数の島にあるのは、世界的に見ても珍しいと思います。

ーーこれまで、どんな壁にぶつかりましたか?

本当にいろいろなことがありましたが、一番大きかったのは身の丈に合わないことに挑戦した結果、経営的に苦しんだことですね。2018年から2年連続、琴平で規模の大きいフェスティバルを開催しました。由緒ある建物や路上など、町中のあちこちで複数のサーカスが出現するというものです。琴平は面白い場所が沢山あって、その場でしか観られないものを作るにはぴったりの町でした。

それまで、高松で一つの公演を3日間やると1000人規模の集客がありましたが、琴平では200人ほどと想像以上に集客できませんでした。続けていけば定着したかもしれませんが、2019年の開催で大きな借金ができてしまって、継続開催は困難になりました。

無理してでもとにかくやってみるのが信条ではあるものの、じゅうぶん挑戦したと考え、団体として身の丈を超えるリスクは負わないと決めました。苦しんだ経験があったからこそ、YonaYonaサーカスのような、自分たちにフィットする形を見つけられたと思います。

ーーこの時期は、どのように乗り越えたのですか?

自分がこれだと思うことを進めて、うまくいかなくて、団体が大きな借金を抱えたときはエネルギーを全て失い、自尊心も崩れ去りました。自分は求められていないんじゃないか、なんのためにこれまでやってきたのかという虚しさでいっぱいになって……。何年かに一度は辛い時期がありますが、これまでで一番辛かったですね。

当時、全部やめて地元の札幌に帰る、とメンバーにも伝えていました。今は落ちついていますが、父の調子が悪く、定期的に病院に運ばれるような状態で。それもあって地元に帰ると言っていたのは正直、言い訳にしている部分もありました。そんな父からある日、「未知子は今、帰ってきちゃだめだ」って真面目な顔で言われて。

「9年間も香川で頑張ってきたのに、今帰ったらすべてがゼロになってしまう。もしまだ少しでも頑張れる力や勇気が残っているのなら、もうちょっと香川で頑張ったほうがいい」。そのときは自覚してなかったけど、本当はもう少しやりたい、もう少し頑張りたいって思っている自分に気付いたんです。でも、私にはそんな資格はない、そんなこと言える立場でもない、能力もない、無理だーーそんな風に気持ちを押し込んでいました。

だけど父の言葉によって、霧が晴れたみたいに視界がクリアになりました。状況は何も変わってないのに見える景色が変わり、捉え方が変わりました。よし、もう少し頑張ろうと思えて、やっぱり続けると伝えたら周りの方にも喜んでもらえて。人は、何度でも生まれ変われます。そう信じたいっていうのもあるけど、素直な心を忘れず、もう一度突き進むことにしました。そうやって持ち直してすぐに新型コロナが登場しましたが、私たちの上向きの気持ちの方が強かったんじゃないかな。アーティストたちの力も借りて、2020年は前進する一年になったと思います。

YonaYonaサーカスに出演したアソシエイトアーティストたち/写真提供:SCF

ーーSFCで2020年にスタートしたアソシエイトアーティスト制度は、練習場所の提供や創作の支援、お仕事のバックアップでアーティストを支援する仕組みですが、現在4名の方が登録されていますね。

全員首都圏から香川に拠点を移して活動しています。浜崎あゆみのツアーダンサーなど、エンターテイメントの世界で走り続けてきた吉田亜希さんが、まず2019年に東京から移住してくれました。最初はお互い独立関係だったんですが、だんだんと連携しながら信頼関係が構築できたところに、他の3人も移住してくれることになって。アソシエイトアーティストの構想は前々からありましたが、いまだ!とスタートしました。最初に亜希さんがいてくれたことは大きかったですね。

スタートの年からみなさんがすごく協力してくれて、良い制度になっていると思います。私たちがクリエーションしやすい環境を提供すると、彼らも自然な形でPRしてくれるようになってきました。教室事業など、彼らがいてくれるからこそ進められる事業もあり、心強いパートナーたちです。

東日本大震災や新型コロナの登場を経て、アーティストたちにとっての「東京拠点ありき」という価値観が一気に変わると思っていましたが、まだまだ根強く残るのが現状です。瀬戸内に来れば練習場所があるというだけではなく、豊かな自然や自由度の高い環境があり、この地だからこその環境とアーティストの関係性を構築できつつあります。コロナで1年ほど海外との交流ができませんでしたが、もともとSCFの強みは世界と繋がっていること。少し先になるとは思いますが、瀬戸内に来れば世界の一流のアーティストたちと交流できるんだということを、今一度体現していきたいです。

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アーティストたちがより良い環境を求めて瀬戸内に来る。10年の時をかけ、その第一歩が始まっていると感じました。次回は、アソシエイトアーティストたちへのインタビューをお届けします。

田中未知子
一般社団法人 瀬戸内サーカスファクトリー 代表理事
現代サーカスディレクター、国際サーカス大道芸ネットワークCircostrada正規メンバー。
新聞社に勤務していた2004年に現代サーカスに出会い、「身体いっぽんで生きる」パフォーマーの生き様に衝撃を受け、現代サーカスの専門家になることを決意。2007年に本場フランスへ渡り、帰国後は芸術祭でのパフォーミングアート担当を経て独立。香川県に移住し、2011年「瀬戸内サーカスファクトリー」を創設。アーティストやスタッフ、技術者の育成、創作場所の確保を地域と共に続け、アーティストをサポートする「アソシエイトアーティスト制度」により、現在4名のアーティストが香川に移住。2021年6月からは子ども向け教室「リバティ☆キッズジム」がスタート。著書「サーカスに逢いたい~アートになったフランスサーカス」(2009年)
瀬戸内サーカスファクトリー:ホームページFB

瀬戸内通信社 編集長/ライター、コピーライター:愛知県出身。12年ほど東京で暮らし、2016年に小豆島、2019年に香川県高松市へと移り住む。豊島美術館、李禹煥美術館が好き。

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