この街にきたら、やりたいこと増えちゃって/平野公子さん(メディアプロデューサー)
平野公子さんとやっと知り合えたのは2019年の春。小豆島に住んでいるときには出会えなかったのに、高松に引っ越してからぽんと出会えた。自分に正直な公子さんと話すのは心地良い。公子さんが装丁家・平野甲賀氏のマネジメントをしていることは知ってたけど、本を出したり、ワークショップの企画をしていると聞いて、公子さんって何者なんだろう、と話を聞いてみました。
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——公子さんは東京出身なんですよね。
はい。生まれてからずっと、70年近く東京ね。2014年から小豆島に5年住んで、2019年2月から高松に住んでいます。
——公子さんのお仕事について教えてください。
連れ合いの平野甲賀のマネジメント、本の企画や、ワークショップ「マルテの学校」の企画(2020年度は新型コロナの影響で翌年に延期となりました)、パフォーマンス企画などをやっています。
——本の企画って、具体的にはどんなことをするんですか?
今の世の中で、「この人みたいな生き方、考え方が本として出たらいいな」っていう企画を、信頼関係のある編集者に持ち込みます。「料理と私」(渡辺有子・著)は料理研究家・渡辺さんのレシピ以外のこと、たとえば渡辺さんがどのように料理の仕事をするようになったのか、どんなことを大切にしているのかが書かれた本があったらいいな、と思ったの。毎年1、2冊は企画を出しています。私の目線を面白がってくれて、やりたいって思ってくれる編集者との仕事はうれしいわね。最近だと「ウェブでできちゃうでしょ」といわれるけど、「この人は本にするのが面白いのに」っていうのがあるのよ。
本を作ることは好きだけど、一番楽しかったことは神楽坂で小さな劇場をやれたことなの。「劇場がやれて幸せだったよね」って甲賀さんともよく話しています。「シアターイワト」という劇場を作って、箱を貸したり、企画をやったり…。そこからの10年近くが一番楽しかったわね。何が一番好きって、生の表現、ライブなの。歌、お芝居、アクロバット、ダンス…そういうものが混じりあったような「興行」が好きで。
準備も入れると2004年からやっていた劇場だけど、古いビルごと壊すことになって。大好きな劇場が無くなるなら、東京にいたくなくなったのよ。瀬戸内は温暖だし、なんとなく小豆島に引っ越して。地方に来なきゃわからないことがたくさんあったから、来てよかったと思っています。良いことも悪いことも含めてね。
——小豆島に来て良かったことってなんでしょう?
東京から遠く離れたことね。それは東京の価値観で物を見なくてよくなったってことだと思う。小豆島には東京にはいないような子がいっぱいるのが良かった。若いのに競争したくない、みたいな子が多くて。後でそれが物足りなくなっちゃうんだけどね。
——小豆島から高松に来られたのはどうして?
一番大きい理由は、仕事人として小豆島の人たちに求められていない、と感じたことかしらね。高松なら色々なところからアクセスもいいし、人も集まりやすいと思って。自分たちのやりたいことができる場所なんじゃないかって思ったの。
——東京に帰ろうとは思わなかった?
東京では、パフォーマンスが消耗品になりすぎちゃうっていうか、やりたいことが埋もれてしまうと思って。「地方だからやれる」じゃなく、地方でやることが自分には面白いし、やってみたいと思ったのよね。
——甲賀さんの展示やワークショップの企画について聞かせてください。
年齢的にもう残り時間が少ないだろうし、甲賀さんがやってきたことを若い人に直接見せたいの。一緒に何かをつくったり、本人に会うことが一番だと思うから。そんな思いで、ワークショップ「文字の学校」一期生には、甲賀さんと一緒に仕事をしてもらっています。甲賀さんにとってはサポート、若い人たちにとっては実践で学ぶ機会。例えば、出版社から装丁の依頼が来たら、具体的に何をどうするのか、どんなやりとりをするのか、とかね。人が育つには必要なことだと思うの。
——公子さんがこれからやろうとしていることを聞かせてください。
これからやりたいことって沢山あるのよね。ひとつは、2021年発行を目指して、今年の夏から本づくりを始めます。レーベルは「horo books」。メインは「ほろ酔い」の「ほろ」からきています。お酒をちょっと飲んで世の中を見る方がおもしろいよね、っていう意味を込めています。あくまで「ほろ酔い」ね(笑)。最初に作る本は、「この人を取り上げることで瀬戸内の今がわかる」と感じる人たちのインタビュー本の予定。
この土地で生きる人たちがどのように暮らし、仕事をしているのかを、丁寧にインタビューします。そういう人を大都市で見つけるのは難しいのよね。高松で暮らしていると、人と人が直接触れ合う機会が多くて。どうやって店主が出すものを選んでいるか、何を大切にしているのかが見える。つまり「人が仕事をしている」というのが見えるのよね。そういうのを記録として残しておきたいの。繭子さんも参加する予定ね。
——はい、本を作る、というのも初めてなので、ウェブとは違う経験ができるのが楽しみです。ところで、公子さんはどんな子どもだったんですか?
4歳から劇場によく行ってたわね。観劇って、父にとって月に一回しかない休みの楽しみだったのよ。あの頃のおじさんたちは、浅草のかけ小屋から一流の舞台まで、今の人たちと比べ物にならないくらい興行を見ていたの。私にはその世界が面白くてたまらなくて、いつもくっついて行きました。
小学校低学年頃には駅前にダンスクラブができて。そこの楽屋に入り浸るのが大好きだった。楽屋にいると、「公子ちゃん、こういう話は子どもが聞くようなことじゃないのよ」って女給さんたちに言われたり。だって、面白い話ばかりしてるのよ。うっとりするほど人間らしい恋愛とか、「あなた騙されてるんだよ、一緒になろうよなんて」とか。非日常ながら、人間的でしょ、すごく。そういう猥雑なものとか、男も女も無意識に滲みでちゃう感じが。
——公子さんはいつも好奇心旺盛で、気になったことは何でも「それなあに?」って聞いたりしてますよね(笑)。ところで、今は新型コロナウイルスの影響で身動きとりにくい状況ですが…、本以外の今後の予定について聞かせてください。
今年、高松での落語会や演劇会を準備していたんだけど、こんな状況なので2021年に延期を決めました。そこでやる演劇は生の音楽・歌、人形、コント…いろんな要素が詰まったもので、いろんな土地を流れながら、高松でもパフォーマンスします。落語会は古今亭志ん輔さんを呼びます。
こういう興行をやったら街にとっていい、なんてことは考えたこともないわね。そういったことが「出現する」ってことが楽しいし、自分がおもしろいからやってるの。もう高齢だし、私ができなくなってからもそれを続けてくれる人がいるといいなって思うんだけどね。回り道したり、身銭切ったり、無駄かどうかわかんないけど、無駄なことをしたり。ずっと一生やってますね。この街にきたら、やりたいこと増えちゃったわね。面白いって自分が思うことは大事にしたいのよ。あなたも大事にしなさいね。
平野公子
1945年東京・神田生まれ。メディアプロデューサー。20代から演劇制作をかわきりに展示、書籍、ライブなどの裏方を仕事にしてきた。2005年から8年、東京・神楽坂で小劇場「シアターイワト」を運営。2014年香川県小豆島に移住、2019年高松市に移住。子ども3人、孫2人、相方は装丁家・平野甲賀氏。今後の活動などはTwitterで発信予定。現在、オンラインマガジン「その船にのって」にて連載中。
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