この姿は、僕の怒りの表現/まひろさん(研究職・ドラマー)

まひろさんを見つけたのは、SNS。投稿されていた写真の長い髪やメイクから、何も考えずに女性だと思っていたけれど、投稿をよく読むと男性であることに気づいた。自分の先入観を恥じつつ、髪を伸ばしてメイクをする理由を聞いてみると、性差別やルッキズムへの批判、アライ(LGBTQの人たちを理解し、支援する人)であることを示すための表現であり、その思想はパンクからきているのだという。詳しく話を聞いてみた。(取材・ライティング/小林繭子)

*

——性差別・ルッキズムへの批判姿勢とアライであること、それぞれにきっかけがあるのでしょうか?

性差については、子どもの頃からずっと違和感を持っていました。当時、妹は「女の子はあぐらをかいちゃいけない」、僕は「男だからこうあるべき」などと祖父母から言われることがしょっちゅうありました。小学校でも「男のくせに吹奏楽部」なんて同級生から言われることがあり、子ども心に「男と女の違いってなに?」「どうして性別であるべき姿が変わるのだろう」と疑問を持っていました。

ルッキズムへの批判が芽生えたのは、大学生になってライブハウスに出入りするようになった頃でした。友人から「ライブハウスって派手な人が多い、危ないんじゃないの」と言われることや、タトゥーを入れた仲間を通して偏見を目の当たりにすることがあり、見た目で人柄を決めるのはなぜだろうと違和感を持つようになりました。

大学生になって髪を染めたら、祖父母から「そんなチャラチャラして」と言われたこともありました。外見が人に与える印象があることは理解していますが、「チャラチャラ」って内面で使う言葉だと僕は思っていて。自分のことをよく知っているはずの家族に言われると、どうして外見のことで内面まで言及されるのだろうと、怒りに近い気持ちがありました。

アライであろうと意識するようになったのは、比較的大人になってからです。自分の身近でなにかがあったというよりは、メディアを通してLGBTQの方たちが抱えている課題を知り、自分はアライでいたいと思うようになりました。なにより、誰かを好きになることは他人にとやかく言われることではないはずです。具体的になにかアクションをするというよりは、一人ひとりの在り方に寄り添える人でありたいです。

——ずっと持っていた思いを髪型やメイク、ファッションで表現するようになったきっかけは?

パンクとの出会いです。パンクは音楽のジャンル名でもありますが、精神性を示す言葉であり、いろいろな解釈があります。僕の理解は「DIY精神」や「自治行為」、つまり自分たちの生きやすい、幸せでいられる環境を自分たちで作るという考えです。例えば、災害時に寄付をすることや炊き出しに行くこともパンクだし、政治に対する反骨精神やデモもパンクです。

パンク文化を理解した上で性差別やマイノリティであるという理由で苦しんでいる人たちを見ると、いてもたってもいられなくなり、何か意志を表現したいと考えるようになりました。そうしてたどり着いたのが今の僕の姿——長い髪、メイク、それに合わせたファッションです。

——そうだったんですね。まひろさんがパンク精神を知ったのは?

ミュージシャンたちの活動や言葉を通してですね。彼らの表現は音楽やライブのMC以外にも、ZINEの発行、投げ銭制で音楽をオンライン販売して世界中から寄付を集めるなど、さまざまな活動があります。バンド「GEZAN」のライブMCで聞いた「パンクは自分と隣にいる人が幸せになるための自治行為だ」という表現が、僕にとっては一番しっくりきています。

——まひろさんのスタンスが長い髪やメイク、ファッションなどに昇華されたのは、どうしてでしょうか?

一番強く、長く感じてきた違和感は性差別だったので、あえて中性的な見た目にしようと思ったんです。そうして伸ばし始めた髪がいい感じに長くなったのは、大学3年生の頃でした。その髪型に合わせつつ、中世的な見た目をイメージしてメイクやファッションが後からついてきたという形です。

——最初、周りの反応はどんな感じでしたか?

「どうしたの?」「かわいくなったね」とさまざまな反応がありましたが、「女の子みたいだね」と言われた時は、そりゃそうだし、批判するつもりはないけれど、自分が闘いたいのはこういう発想だと思いました。見た目でどういう人かを判断しない世の中や、男性・女性だけではない世界になればいいと思っています。

——髪を伸ばしてメイクをする意図を、当初から人に話していましたか?

その頃は伝えてなかったので、周りの人はただのファッションだと理解していたと思います。説明するのもやぼだと思っていたし、迷いというか……自分の意志とはまた別に、この形が本当に正しいのか自問自答していたのもありました。

——それを言語化したり、SNSで発信したりするようになったのは?

社会人になった2019年からです。会社では一個性として今のスタイルを認めてもらっていますが、知人から「社会人としてその恰好はどうなの」と言われることや、心の性が女性だと勘違いされることも依然としてあって。実際にそういう体験をすると、こんな世の中——見た目で人を判断したり、固定概念に人を押し込めようとしたりするから人がありのままでいられないんじゃないか、自分を覆い隠している人がいるんじゃないか、でもそれは違う、と強い気持ちが生まれました。そこから、言葉にして発信しようと変わっていきました。

——言葉で発信するようになって、変化はありましたか?

何か劇的に変化するということはないです。正確に言うと、僕が怒りを表現していること自体が大事で、その時点で完結している、伝わっていようがいなかろうが関係ないと思っていたので、周りがどうなるのかはあまり考えていませんでした。ただ、言葉で発信する前は心ないことを言われることや、ネガティブなリアクションもあったけれど、最近はうれしいことのほうが断然多いです。

——どんなうれしいことがありましたか?

「周りには公表してなかったけれど、バイセクシャルなんだ」とその人のそのままの姿を打ち明けてもらうことや、「まひろさんみたいに声を上げてくれる存在が心の支えになる」と言っていただくこと、「なぜそうやって表現をしているのか」とSNS上で聞かれて意見交換が生まれることなどです。あと、「似合うね」と言われることが増えて、自分の思いがファッションとして不自然ではなく、成立しているのであればうれしいですね。

最初は伝わることを期待していなかったけれど、自分の思いがひとかけらでも伝わっている実感があると素直にうれしいし、思いがけず誰かの支えになるのだなと気づきもありました。

——見た目での表現以外に、普段から積極的にしていることはありますか?

性差別的な発言など、気になることがあったらどうしてその発言をしたのか、問い詰めるのではなく、相手に理由を聞くようにしています。言葉を通すからわかることもありますね。うやむやにされることもあるし、僕の問いによってこの言い方は違ったなって考えてくれる人もいるし、僕自身が新たな気づきをもらうこともあります。

——問いを投げることによって、多少なりとも摩擦が生まれそうですが。

もしそれをきっかけに疎遠になるなら、それまでなのかな……実際には僕の問いに対して考えてくれる人たちに恵まれているので、感謝しています。摩擦も人間関係の一部。それも含めて愛せるのが人間関係なんじゃないでしょうか。摩擦が悪いとは思ってないですね。

——大人になってから、祖父母と性差別について会話する機会はありましたか?

ありませんでした。僕の場合は違和感を覚えながら生きてきたけれど、きっと祖父母はそうじゃなかったんじゃないかな。個人差もあるし、家庭環境や世代、社会の変動で考えや視点は違ってきます。僕と祖父母の間にはその違いの幅が大きく広がっているのだと感じているので、相手によってはぶつかることにこだわらなくていいかなと。祖父母とはぶつかるよりも、いろんな人がいることを学ぶ存在として関わっていたいです。

——今の表現を始めてから4年、自分自身の変化はありますか?

「こうだ」と思ったらずっと同じというよりは、考えながら、時に自分を疑いながらやっていて、最近では見た目で印象を持つことが悪でもないなと、少し変化があります。見た目でこういう人だと決めつけてレッテルを貼るのは良くないけれど、なにか印象を持つっていうのは誰しもあることなので、そこに対してまで怒るのは違うなと。以前はそれすらむっとすることもあって(苦笑)。いつも、自分はこうだと思っていたけれど、たまにあれ、違うんじゃないかと思うこともあって……あやふやなのかもしれないけど。

——自分の外と接触しながら「こうかもしれない」と考えていくことをやめないって、すてきですね。他にも変化はありますか?

最初はとにかく怒りが原動力で、性別があるから差別がおこり、苦しむ人がいて、マジョリティとマイノリティが生まれ、マイノリティが虐げられている、だから性別なんていらないと思っていたけれど、今はすべての人が自分の感じている性別を楽しめる世の中になったらいいなと思っています。

——性別を楽しめる世の中とは?

周りから干渉を受けずにその人が自分の好きな状態、そのままで心地良くいられる状態です。そんな願いを込めてずっと髪を伸ばしてきましたが、実は最近、切ってもいいのかなという気持ちも出てきて。髪を伸ばすという形に固執しちゃっているのかな?と思うようになって……。そんなふうに考えてばかりですが、自分の変化も楽しめたらいいですよね。

*

まひろ
1994年徳島県生まれ。高校までを徳島で過ごし、岡山の大学へ進学し生化学を学んだ後、会社員として研究職に就く。大学生の頃からカメラとバンドを始め、言葉を綴る。空き時間ができれば、生活のにおいを見つめに散歩に出る。現在は二つのバンドalligator 13 footDESERVE TO DIEでドラムを担当。
Instagram(メイン)
Instagram(フィルム写真)
https://www.tumblr.com/ihatetheflowoftime

燦庫-SANKO-(撮影協力)
イベントスペースを備えたカフェバー。ライブ、ポップアップショップ、ギャラリーと多面的に活用できる場として幅広いイベントが開催され、日々音楽、飲食、文化、人が交わる。不定期での夜カフェ営業も(Instagramにて告知)。姉妹店のライブハウスTOONICEと共に、まひろさんの思い入れのある場所の一つ。ことでん瓦町駅から徒歩6分。
香川県高松市亀井町8−8 2階
Instagramhttps://san-ko.site

瀬戸内通信社 編集長/ライター、コピーライター:愛知県出身。12年ほど東京で暮らし、2016年に小豆島、2019年に香川県高松市へと移り住む。豊島美術館、李禹煥美術館が好き。

Back to Top