一言では表せない、それぞれの働き方/村上智美さん(ライター・編集、メーカー広報)

自分のやりたい仕事をやるのには、いろんな道筋や方法がある。それなのに私(小林)は、今他の仕事をしながらライターをしていることに、歯がゆさのようなものを感じることがあります。「何か一本の仕事を生業にしなくては」、そんな焦燥感を抱えていた時に、同じように複数の仕事を持つライター仲間・村上さんはどう考えているのか聞きたくて、お話ししてみました。(取材・ライティング/小林繭子)

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——村上さんは今、どんな仕事をされていますか?

ライター・編集の仕事、業務委託での企業広報、この二つを柱にしています。加えて、週に1回ラジオ番組の制作のお手伝いもしています。

——三つの仕事をされているんですね。この形にたどり着くまでの経緯をお聞きしたいです。

大学卒業後は、香川でタウン誌を発行している会社に就職しました。本当は音楽関係の仕事がしたくてレコード会社に応募しましたが、なかなか難しくて。挙げたらきりがないけれど、当時はGRAPEVINE、クラムボン、SOPHIAなどが大好きで、音楽雑誌「音楽と人」やタワーレコードで配られるフリーペーパーを隅から隅まで読んでいました。

大好きな音楽に関わる仕事がしたい、そうだ、タウン誌には毎月アーティストへの取材ページがあるぞと。当時は、書く仕事がしたいと思っていたわけではなく、とにかく音楽に近づくにはこれしかないと思っていたんです。

最初は営業部に配属されましたが、入社3か月で音楽ページ担当の話が舞い込み、営業部に所属しながら毎月アーティストへのインタビューを担当しました。そのページがあったから、営業の仕事も頑張れましたね。その後はライティング・編集メインへと移行していきました。

タウン誌では、アーティストに1時間インタビューしても記事になるのは300文字ほど。タウン誌の枠を超えた記事を書きたい、もっとアーティストの内面に寄る記事を書きたい、とだんだん欲が出てきて。その頃、毎月読んでいた音楽雑誌「音楽と人」で初めて編集部員の一般公募があったんです。幸運なことに採用され、そのタイミングで東京に引っ越しました。

長年の夢が叶い、仕事も充実していましたが、全力で突っ走った結果、体調を崩してしまい……。もっと仕事のやり方を考えるべきだったと思います。「音楽と人」を辞めた後は、別の出版社に転職し、そこでも編集とライターの仕事をしました。東京で6年働きましたが、2017年に香川にUターンし、一度出版業界を離れました。

——香川へUターンされたのは、どうして?

暮らす場所と働き方を変えて、生活を立て直そうと考えたんです。東京の暮らしは刺激的で楽しいものの、夜遅くまで仕事をしたあとに満員電車で帰宅して、気が付いたらもう寝る時間。翌朝急いで起きて、また仕事に行くような日々でした。休日も、溜まった疲れをなんとかしようと寝てばかり……。ふと「私、何してるんだろう」と思ってしまって。東京ってスピードが速くて、ついていくのに必死だったんです。楽しい分それに気づかず、ふと立ち止まった時にはクタクタになっていました。

次第に、自分のためにご飯をゆっくり作ったり、自然があるところに出かけたり、自分の時間をちゃんと作って、生きる時間を大切にしたいと思うようになりました。自分ではわかってなかったけれど、「働きすぎだよ、おかしいよ」と言ってくれる人がいたおかげで、生活に重きを置こうと思えたのもあります。

——Uターンのタイミングで、フリーのライターになることは考えなかったのですか?

今はそうではないけれど、当時は「会社員じゃなくちゃダメだ」と思い込んでいたんですよね。保険や保障などが不安定になるし、そもそも勇気がなかったんです。地方では、ライターだけで食べていくのは難しいだろうなという不安もありました。

——香川にUターンされてからは?

現在業務委託として契約しているメーカーに、広報担当の正社員として入社しました。会社が新商品をリリースするタイミングだったので、一時は東京にいた頃よりも忙しかったですね。想定外に忙しい日々の中で一年半頑張ったものの、これでは本末転倒だなと、退職を考えるようになりました。

会社を辞めるとしたら、私には何ができるだろう。最初に浮かんだのは、取材に行って書くこと。仕事ではなく自分の時間中心の暮らしがしたかったので、次はフリーになると決めていました。会社に退職の意思を伝えると、残ってほしいと言っていただけて。だけど、やっぱり正社員としてハードに働き続けることは難しかったし、もう一度ライターの仕事をやりたい気持ちが強くありました。

すると会社側も私の気持ちを尊重してくださり、ありがたいことに業務委託として広報の仕事を一部続けられることになりました。フリーでライターの仕事も受けるようになり、二足のわらじがスタート。それが今の基盤になっています。お金のことは後でどうにかすればいいやと思ってはいたものの、ライターの仕事だけで生活していくことは現実的に難しかったと思うので、会社にはすごく感謝しています。

——業務委託を提案してもらえたことで、二つの仕事を調整しながら進める道筋ができたんですね。そこに加わったラジオの仕事は?

これは完全に、ご褒美の位置づけです(笑)。会社員を辞めたことにより時間をコントロールできるようになって、せっかく時間があるし、思いきり好きなことしようと思って。音楽を好きになったきっかけはラジオで、中学生の頃からずっと聴いていました。大好きな仕事なので、とにかく楽しいです。

——フリーに対する不安感について、今はどう変化しましたか?

複数のわらじがあることで、金銭的な不安は多少解消されました。あとはやりたい仕事を自分の裁量でやれるという点において、フリーは精神的満足度が高いんだということに気づきましたね。

——他に、複数の仕事を持って良かったことは?

これは予想外だったのですが、それぞれの異業種での経験が相乗効果になることがあります。広報の仕事をしていると出版社とのやりとりが多く、出版業界での経験がかなり活かされます。ラジオの仕事では、リクエストを選ぶ時に音楽業界での経験が活きたり、タウン誌時代の繋がりでインタビュー取材先のネタ出しができたり。この相互作用は、すごくおもしろいです。

あとはなにより、居場所が複数あることが私には一番いいんです。働く場所が三つあるので、一つの仕事でなにかあっても別の仕事で気が紛れるし、それぞれの場所にいる人も違って刺激になる。楽しいし、いい感じにバランスが取れています。

——一つの場で仕事をし続けるよりも、性に合っていたんですね。

振り返れば、一か所に所属することの自分の限界を、社会人最初の10年で痛感したのかもしれません。会社員として働くといろいろと制約も多いですし、それがちょっと息苦しかったというか。これは単に私がわがままで未熟なだけかもしれませんが、自分の裁量で仕事をしていた方が、パフォーマンスが上がる気がしたんです。

それにどんなに会社のために頑張ったとしても、いざというときに会社が自分を守ってくれるのかというと、わからないなと思っていて。過去、同僚が働き詰めによって体調を崩してしまった時、上司はすごく心配していました。でも、会社として一人の社員のためにきめ細かい対応をするのには、どうしても限界があるのだと実感したこともあります。企業は利益を追求し続けなければならないので仕方のないことですが、それって怖いことだなと……。

守ってくれると信じていたにもかかわらず、それが叶わなかったとき、ボロボロになっているのは自分。それなら自分の責任で回せる環境にいた方が、何かあったときに気持ちが楽なんです。自分で自分を守れる環境にいたいから、主語が会社ではなく、「私」になる働き方をしていたいと考えています。

——なるほど……。私は、自分で責任を負うことへの不安にばかりフォーカスしてしまっていたのですが、「自分で責任を負える」っていいものなのかもしれませんね。

仕事の入れ方を失敗したら収入に直結しますが、自分で責任を負える方が楽だからフリー、という人は案外周りにもいます。とはいえ組織にいる方が気が楽だという人ももちろんいるだろうし、これは人によると思います。

——フリーでの仕事の入れ方って、難しくないですか? うれしい依頼についつい無理して応えてしまったり。

決まった時期に決まった量の仕事が来ることはなかなかありませんが、もうその波を楽しむしかないかなあと(苦笑)。「今月は仕事を入れすぎて大変だ」なんてこともありますが、一息ついたら絶対にだらけると決めています。この3年で広報業務の繁忙期サイクルも固まってきたので、だんだんと仕事量が把握しやすくなってきてはいます。

——複数の仕事を持つと、時間管理が大変そうです。

全然そんなことないんですよ。会社員の頃よりも、今の方がずっと自分の時間を取れています。最初にここだけは休みと決めてブロックしたら、何があっても仕事を入れないようにしています。その分、休みとして確保した時間以外は仕事を頑張る。頑張りすぎた翌月は仕事を抑えるようにしてバランスを取っています。

普段は朝起きるのもゆっくりで、午前中は大体自分の時間にしています。毎朝同じ時間に会社に行くことも、私にとってはしんどかったんだろうな……。自分を後回しにしていた20代を経て、今は無理をしないように気を付けています。

——ところで、村上さんはどんなふうに原稿を書いているんですか?

取材が終わって、原稿を書き始めるまでの時間は長いほうかもしれないです。構成を考えるというよりは、何を軸にして文章を書くのかを頭のなかでずっと考えています。取材対象の数ある魅力の中から、どれを軸にして書いたら一番魅力的に見せられるかが定まったら、一気に書きます。

——オンとオフはうまく切り替えられていますか?

う~ん、なかなか難しいですね。「ほんとにあれで良かったのかな……」とオフの時間もついつい仕事のことを考えちゃいます。生活と仕事って完全に切り離せなくて、モヤモヤと考えている時間は長いです。

一時期は自分のできないことばかりが目について悩みましたが、「頑張りすぎるのはやめよう、自分にできることを一生懸命頑張るしかない」と、最近切り替えられました。それは何かがあった訳ではなく、ずっと考えていたら、ふとそう思えたというか。

——もしかしたら、オン/オフの切り替えが苦手な人ほど自分で責任を持つフリーが合っているのかもしれないですね。今の働き方は長く続きそうですか?

二本柱とご褒美の仕事、今はこの三つですごくバランスがいいと感じていて、続けていきたいです。仕事の総量は会社員時代よりも抑えつつ、やりたい仕事を自分で調整しながら進められていて、理想の生活ができています。

でも、今の仕事のうちのどれかが10年後に消えている可能性は十分にあるし、それに代わる新しい仕事を見つけられるのか不安もあります。そういう意味では非常に怖いですね。ライターの仕事は、年齢が上がると仕事が限られてしまうんじゃないかという危惧もあります。

——そう思ったのは?

「今のあなたの年齢に合うと思ってこの仕事を依頼した」と言っていただくこともあって。アンテナを張って進化し続けていれば、その壁を越えられるのかもしれないけれど、実際に歳を重ねてみないとわからない。そういう意味ではずっと続けられる仕事だという確実性はないです。

だけど確実性がないからこそ、今を大切にしたいです。その時々に悩んだり、失敗したりもすると思うけど、それを自分で責任を持ちながら進めていく、これが今の私には一番みたい。そのためにちゃんとだらける、休む(笑)。これが私らしい働き方なんだと思います。

村上智美

1986年生まれ、香川県丸亀市出身。大学卒業後、タウン誌の営業部・編集部で雑誌作りの基礎を学び、編集者・ライターとしてのキャリアをスタート。2011年に上京し、中学生のころから憧れていた<株式会社 音楽と人>に入社。その後教育系出社を経て、2017年3月に香川県にUターン。メーカー広報の傍ら、2018年7月よりフリーライター・編集としての活動を開始。最近の思い出は、野外音楽イベント「OTODAMA」「hoshioto」に参加したこと。現在は、20年来心の拠り所としているバンド・SOPHIAの活動再開に胸を躍らせている。海が好きで、休みの日は屋島や瀬戸大橋記念公園をぶらぶらする。
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瀬戸内通信社 編集長/ライター、コピーライター:愛知県出身。12年ほど東京で暮らし、2016年に小豆島、2019年に香川県高松市へと移り住む。豊島美術館、李禹煥美術館が好き。

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